あれから休憩をはさんで二更まで歩き続け、たどり着いた宿屋でさて、と一言前置きして彼女は語り始めた。


「あまり楽しい話では御座いませんが、私は両親を亡くしております。土井さんがお会いになられた2人とは、所謂、義理の両親という間柄になります。
 生家は地主でありました故、賊に狙われ、家人も使用人も全て殺されました。我が家に使えていた使用人たちは、家族も同じ屋敷に住まわせていた為、全て死に絶えました」


  言葉を詰まらせる私に対し、別段珍しい話でもないでしょう、と笑みを崩さぬまま続ける。


「刀は、とある方から手習いを受けました。あのお方は今でこそ村人に身をやつしておりますが、相当の使い手で御座いました故」
「……では、あなたが刀を振るうのは何故ですか?」


 淡々と語られる事実に、長考した後に私の口からこぼれ落ちた言葉は全くの愚問だった。復讐だろう。若い身空の女性が望んで人を殺す理由など、多くはない。私自身も戦で家族を失い全てを恨み、戦忍であった時分は殺す対象を自分の全てを奪ったものと重ねながらくないを振り上げたことがあった。


「復讐、いえ、家族の仇討……そう言えば聞こえが幾分かよろしいでしょう。しかし違うのです、私が人を殺すのは喪った家族の為でも使用人の為でもありません」


 行燈の火がゆらりと揺れる。その灯りに照らされた彼女の微笑みに、少しの違和感を感じた。初対面から、彼女の穏やかな表情は崩れない。自分の身に起きた惨劇を語るのならば、悲哀や憎悪などの数多の感情が滲み出るのが当然だ。ましてや彼女は刀の手解きを受けたとはいえ、ただの村人だ。忍びならばまだしも、感情を偽る術も知らぬ筈。


「私は、一等欲張りで御座います故、自身の物を奪われるのは大層癪に障るのです」


 にやりと、なつきが唇を吊りあげた。初めて見る彼女の表情の変化に、私はこれが彼女の本来の姿であると確信した。素朴ながらも穏やかな村人であった筈の彼女はなりを潜め、まるで遊女のような人を食う笑みで彼女はそこに座っていた。


「奪われる前に殺す。私は私の為、自身の私欲の為に殺しているのです。確固たる命がある武士や忍の方々からしてみれば、忌わしいことをしているとの自覚は持ち得ております」


 軽蔑なされても結構ですよ、といつのも柔らかい笑みで彼女は微笑んだ。その笑顔に、知らずに張りつめていた息をそっと吐き出す。
 ――この女性は危うい。
 それが私の見解だった。この人はこのまま何も守るべきものがなければ、血に酔ってしまうのだろう。彼女自身は気づいてはいないようだが、現在ですら賊相手に切る理由を探していた。いずれ人を殺す鬼になってしまう。このような人物を学園へと招き入れてもよいものだろうか。


「ご安心ください、学園の生徒を手にかける理由はひとつも御座いません」


 私の思考を読んだかのような言葉に一瞬、息が詰まる。私の同様など気にも留めていないうように彼女は相変わらずの微笑みを携え、退室の言葉を告げ自室へと戻った。

 ひとり残された室内で、予め敷かれてあった布団の上へとごろりと寝ころぶ。春先だとはいえまだ少し寒い室内の温度で冷された布団の温度が心地好い。私はひとり、彼女の処遇を考えていた。学園へはもう明日にでも到着してしまう。このような土壇場で彼女の一面が知れたのは幸いだったのだろうか。生徒の目に触れてからでは、処分するのもいささか問題が生じる。
 学園へ戻り支持を仰ぐか。学園長先生は今でこそ引退して生徒や教職員を困らせるような突破的な"思いつき"を慣行するが、元は凄腕の忍である。他の先生方もいらっしゃるし、新米の自分一人で判断するよりも良いだろう。そう思い身を起こすと、ふと頭の中で至極冷静な自分が囁いた。
 ――大事な生徒を与る学園で、例え食堂の人間だとしても学園側が身辺調査を怠るだろうか。
 以前山田先生にも、私が教師の職に就いた時分でも調査が行われたと伺った。いくら彼女が食堂のおばちゃんの身内だとしても、それが行われない筈がない。では学園は、彼女の異常性に気づいて雇用するとしているのだろうか。
 散らばっていた思考をまとめると、もしかしたら食堂のおばちゃんは、彼女の異常性を知った上で学園長先生にを推薦したのかもしれない、と一つの仮説に行きあたる。私の推測では、おそらく彼女はこのまま行けば駄目になってしまうだろう。そう言った危うさを取り除くために、彼女を学園へと呼んだのではないのか、と。忍術学園は個性的な生徒が多く、執り行う授業も忍の為のもの故、彼女のような殺すことに呑まれた人間は少なくはない。途中で鬼になってしまい学園を去った生徒もいたが、少ないながら学友たちの手で立ち直り、共に卒業し立派な忍になったものもいると聞く。学園へと行くことで、彼女の中で何か変化が起きることを期待して、食堂のおばちゃんや彼女のご両親はここへと送り出したのではないだろうか。
 そう考えると、すんなりと思考がまとまった気がした。彼女はまだ手遅れにはなっていない。例え狂い生徒に牙をむいたとしても、彼女の力量では私達教師は愚か5,6年生も殺すことは叶わないだろう。何かあっても、十分に対処できる。
 何より、私が命じられたのは彼女のお迎え。そこに調査や処分は含まれていない。どさりと、肩の荷が降りた気がした。