次の日、目が覚めておやと首をかしげた。土井さんの様子から、寝ている間に殺されても文句は言えないと思っていたからだ。賊を始末した彼の手際はよく、生憎気配など探れない私は朝まで熟睡コースで、そのコースの終点は死出の旅の入り口だと思っていた。どうやら私はまだ生かすべきだと判断されたようだ。吉報である。
 少しばかりぎこちないあいさつを交わし、食事を終える頃には土井さんはいつも通りであった。ここから三刻程で学園へと着きます、そう言う彼の言葉通り、昼八つ時前には大きく忍術学園、と書かれた表札の書かれた門の前へと辿りついた。


「つかぬことをお伺いしますが、こちらは忍術を教える場所ですよね?」
「はあ、そうですが」
「こう、こんなに堂々としていてもよいものなのでしょうか? 学生とはいえ忍は脅威にもなります、噂に聞く隠れ里の様に忍ぶものではないのでしょうか?」
「ああ、さんはわからないかもしれませんが、学園の教師によって人避けの術を施してあります。場所を知らない人間は学園へは来られませんし、何も知らない人から見ればここはただの森に見える筈です」
「術、ですか。驚きました、そんなものもあるのですね。ものを知らなくてお恥ずかしい限りで御座います」


 門をくぐり、入門表と書かれた紙にサインを残す。本来なら門番なり――後に聞いたが普段は事務員が控えているらしい――いるはずだが、そこは無人の様だ。新入生の入学準備やら、在学生の手続きやらで多忙らしい。空いた時間に事務の仕事を行えば、給料上乗せしてくれるかな、とひとり言ちて笑った。


「お疲れだとは思いますが、先に学園長先生の所へご案内します」
「宜しくお願い致します」


 罠があるらしい学園内を土井さんの指示のもとどうにか潜り抜け、たどり着いた庵は想像していたものよりも質素なものだった。お連れしました、と土井さんが声をかけると、戸が音も立てずにすっと開く。
 開かれた戸の先には、部屋の中央で湯呑みをすすりながら腰かける老人がひとりと、頭巾のようなものをかぶった二足で立つ犬がいた。




「…………お初にお目にかかります、春日村より参りました、と申します」


 二足歩行の犬を視界に入れないように平伏する。


「遠いところ、よく参られた。わしはこの忍術学園の学園長をしておる大川平次渦正じゃ」
「ご高名はかねがね」
「ほほ、忍者が目立っていては仕方ないが、忍んでいてもわしのカリスマ性は隠せんようじゃの」


 初対面のぴんと張り詰めた空気とは打って変わって和やかムードの庵では、その他の教職員と思わしき方々が呆れたように肩を落としている。学園長先生は周りの反応など欠片も気にせず、湯呑みを一口音を立てながらすすり、ゆっくりと盆の上に下ろした。


「さて、先生方には先日話しておいたが、食堂で働いておられたおチヨさんがめでたく輿入れが決まり、忍術学園を去られることになった。そこで、春からこちらのくんに、おチヨさんの後任として働いてもらう!」
です、未熟者ではございますが宜しくお願い致します」


 土井さん――いや、学園内では先生と呼んだ方が良いか。土井先生、山田先生、山本先生、と十数人の先生方がひとりずつあいさつを返し、名乗る。一度にこんなたくさんの知り合いが増えるのは初めてである為、記憶することに自信は持てなかったが、幸い皆個性的な面々だ。担当のクラスも追々覚えていけばいいだろう。


「ではおばちゃん、くんに学園内を案内してあげなさい」
「わかりました、学園長先生」





 が去った庵の中では、表情を消した土井と、対照的に穏やかな表情の学園長、そしてその他の職員たちが残っていた。


「学園長先生、お耳に入れておきたいことが」
「わかっておる、くんのことじゃろうて」
「はい、事前の報告では一般の女性と伺っておりました。確かに、農村部で暮らしていた為町娘とは比べ体力もありますし、礼儀正しい女性でした。しかし……」


 人を殺すことに慣れ過ぎている、と土井はその先の言葉を濁した。


「うむ、彼女が賊退治をしていた事も聞いておる」
「……確かに、気配には疎く忍とは思えませんが、短刀の扱い方は我々のものと酷似しておりました。間者という線は?」
「なし、じゃ」


 そう言いきった大川に対し、知らずと気を張り詰めていた土井はほっと息を吐いた。


「彼女の人柄も聞いておる。よくできた娘さんだ。仕事も容量がよく、しかし手も抜かぬだろう。
 しかしながらひとつ、問題もある」
「問題、ですか……」
「彼女に対して、浮世離れしておるとは感じらんじゃった? 地に足が付いていないとは言わぬが、まるでここでは生きていないような。彼女には子どもですら持っておる人として根本的なものが欠けておる。からくりのようじゃ。
 いつか心をなくしてしまう、そのことを危惧しておった。彼女がこの忍術学園で働くことで、何か大切なものを見つける。それが彼女の育て親でありわしの教え子の願いじゃ」


 大川は静かに瞳を閉じる。空になった彼の湯呑みに、そっと忍犬が急須からお茶をそそぐ音だけが庵に響いていた。