「忘れ物はないかい?」
「はい、トメさん、源蔵さん、今までお世話になりました」
「何言ってるんだい、根性の別れじゃあるまいし」
「お前の帰ってくる場所はここだ」
「はい」


 迎えに来た土井さんという方と一緒に村を出ると、村の皆が見送りに来てくれた。皆口々に別れを惜しむ言葉を述べ、辛くなったらいつでも帰っておいでと優しい言葉をかけてくれる。


「鍛錬を怠るなよ」
「勿論です。それでは、行って参ります」


 大きく手を振ると、皆が手を振り返してくれた。ここへ戻るのは、早くて来年だろうか。夏の休暇があれば儲けものだ。働いて給金を貰う限り、些末な理由で休暇が貰える筈などない。


「お待たせしました、土井さん」
「いえ、随分と村の皆さんに好かれてるんですね」


 そのようですね、私が嫁に行くと勘違いされた土井さんが殴りかかられる程度には、と返すと土井さんはひきつったような笑みを浮かべる。


「ここから学園へは、私の足でも徒歩で2日ほどかかります。さんもいますので、3日ほどかかるかと」
「御気になさらずに。体力には自信がありますので」
「それは心強い」


 土井さんは歳の頃なら20代前半程の優しい顔立ちをした男性だった。へらりと浮かぶ笑顔に少し頼りない嫌いはあるが、十二分に整っており人の良さが前面に にじみ出ている。彼は旅人のような着物に袖を通しており、畑仕事を行う人間よりも少しばかり線が細く見えるが筋肉が全くない訳ではなく、すらりとした均整の取れた体つきをしていた。体育の先生みたいだな、と女生徒に大層モテていた人物を思い出し独り言ちる。


「土井さんは、学園では先生をされてらっしゃるのですよね?」
「ええ、まだ新任ですが一応」
「学がおありになられるんですね。差しさわりなければ、どういった学問か伺っても?」


 私の問いに、土井さんは一瞬戸惑ったような顔を浮かべ、口をつぐむ。一拍おいて、遠慮気味に口を開いた。


「あのー、もしかしてさんは学園のことについて何も伺ってませんか?」
「ええ、『とある学園』としか」
「そ、そうなんですか。……今我々が向かっている所は忍術学園。所謂、忍を育てる学校です」
「し、のびを……?」
「驚かれました?」


 忍と言えば、戦場で暗躍したり、城に潜入して暗殺したりとかいう、アレだろうか。青い土井さんの顔には不安が浮かんでいる。まあ確かに、好んで近づきたくはない職種だろう、一般人にとっては。


「……まあ、別に学園ってことは変わりないですよね。例え学んでいるのが忍術だろうと学問だろうと、私はそこで食事を作るだけです」
「怖がったりとかは……」
「忍なんて今のご時世どこにだって転がっていますよ。恐れていては、生活できません」


 現に源蔵さんがそうだったし。心の声は仕舞っておいた。
 そういえばおばちゃんが以前違う女性に仕事を持ちかけたところ断られた、と言っていたのはこのことが原因だったのだろうか。
 彼女は自分の義弟が忍者だったことも知っているので、私が忍に関して恐怖心も嫌悪感も抱かないと思い教えなかったのだろう。もしかすると、トメさんは細かいことをあまり気にしない性格だったので、姉であるおばちゃんも同じく、忘れていただけかもしれない。
 とにかく、勤め先の学校が殺しを教えていようと毒物を扱っていようと、私にとっては些末な問題であった。しかしながら、一般の村人にとって忍という職業があまり評判がよろしくないことを知っているのか、土井さんがほっとしたように息を吐く。


「そうですか、安心しました。
 改めまして私は6年は組の副担任の土井半助です。学園では、座学を教える予定です。よろしくお願いします」
「これはこれはご丁寧に。食堂のお手伝いをさせていただく事になりましたです。どうぞ、よしなに」


 しなを作ってにこりと笑いかけると、土井さんは緊張を解いてやわらかい笑みを浮かべた。