That's what I'm here for.

「という訳で、<記録の地平線>サブギルドマスターに就任しましたです。今後ともよろしく」

 夕食の席で皆にそう宣言したはとてもいい笑顔で「サブマスの言う事は絶対です。命令に逆らわないように」と続けた。年少組は素直に返事を返したが、僕と直継はあまりいい予感がしなくてお互い苦笑いで視線を交わす。
 彼女がサブマス権限を欲した言い分はこうだ。

「戦闘から退くから、内勤に勤しみたいの。その場合<円卓会議>関係も手をつけなくちゃいけないでしょう。色々と地位があった方が楽なのよ。まあ、ヘンリエッタみたいな感じかしらね」

 所謂、あなたの秘書ね。
 言い切ったの笑顔に押されサブマスを委任したが――決して"秘書"という単語に揺さぶられた訳ではない――書類仕事は地位など必要ない。現に今まではや、ミノリだって手伝ってくれていた。権力と言っても、<記録の地平線>の皆は頼めばちょっと面倒な事だって嫌な顔せずに手伝ってくれる人ばかりだ。僕は彼女の考えは読み切れていないが、何となく余計な事を考えているんだろうなと眉を寄せた。



31



 <記録の地平線>のサブマスになってから早いもので一週間が過ぎた。新しく得た地位が振るわれる事もなく、今まで通り――強いて言うならば戦闘訓練の参加が減って自室に缶詰になる時間が増えたくらいだ――の生活をしていた。サブマスになれば新たな世界が開けてしまったりするのかも、と少しだけ期待していたので正直がっかりだ。
 シロエは私のサブマス就任理由に納得していない様で事あるごとに裏を探ってくるが、何とか躱している。言ったら多分馬鹿にされるだろうし、あの呆れた目で見られるのもつらい。多分私がサブマスという地位を欲した理由は、とてつもなくくだらなく、そして無駄な事なんだろう。





 ペンを走らせていた手を休めて、書類棚を整理する彼女の後姿を見つめる。わかりやすい様で肝心な所は上手く隠すは、こうして長い時間を共にしても中々掴めない。思わず小さな溜息を漏らすと、振り返った彼女と目が合う。視線を感じていたらしく、目を細めて腕を組む彼女は更に不機嫌そうに片眉を上げた。

「何」
「……別に何も」
「言いたい事があるなら言えばいいじゃない」
「言っても、本人には答える気はないみたいだから」

 またその話、とまで溜息を吐く。

「言ったじゃない。円滑な仕事の為だって。それにちょっと地位とか名誉とかに憧れてたのよ」
の事だからおそらくそれも本当の事なんだろうけど、まだ裏がありそうだ」
「べ、別に何もないわよ、裏なんて! いい加減この話はやめにしない? 得るものは何もないし、趣味悪いわよ」
「得るもの、ね……無いことはないんだけど」
「だいたい、私がサブマスになるのが不服ならギルマス権限で降ろせばいいじゃない」
「不服じゃないよ、全くね」
「だったらどうしてこんなにこだわるのよ」
「これは僕の勝手な予想なんだけど」
「検討違いね」
「居場所の確立かな」

 ビクリと彼女の肩が跳ねる。本当にこういう所はわかりやすい。立ち上がりとの距離を詰めると、彼女は狼狽えた様に後ずさった。一歩、また一歩。僕が前進すると彼女は同じだけ後退する。

「そんなに僕達は信用ないかな」
「……」
「理由がなければここから追い出す様な奴らだって思われてるの?」
「そんなこと! ……ないわ」
「うん、わかってる。だけどは確固たる理由がなければ不安なんだよね」
「そうね……シロエ達は悪くないわ。これは、私の問題なの。ただ、私が、臆病なだけよ」
「僕はが戦闘に参加しなくても、そうだな、例え何もできなくても<記録の地平線>にいて欲しいと思ってる」

 遂にの背中が本棚にぶつかった。それでも尚逃げようとする彼女の横に手を付き、それを拒む。

「理由がないとここにはいられない?」
「……そうじゃないとは言い切れないわ」
「相変わらず馬鹿な事を考えるなあ、は」
「馬鹿で悪かったわね。生憎、これが性分よ」
「だけど……"理由"を作ってまで、ここに居たいって思ってくれてるのは正直、嬉しい」

 顔を背けたは何も答えない。居場所作りが今更不要な事くらい彼女自身だって理解している筈だ。

を含めた十人揃って<記録の地平線>だ。誰が欠けてもいけない」
「本当に、いいのかしら……ここにいても」
「勿論」
「役立たずでも?」
「役立たずじゃないって言っても、は信じてくれないけどね」

 僕を見つめ返した瞳は濡れていた。彼女の口から漏れた小さな謝罪は、至近距離で見つめ合う僕だからこそ聞き取れた声量だ。

「謝ってもらう必要はないんだけど」
「だけど、謝らせて。……信頼を裏切った事」
「僕は別に裏切られたなんて思ってないし、謝罪も欲しくない。だけど、弱音を吐いて欲しいとは思ってるさ」

 口に出してふと気づく。同じような言葉は、以前に彼女に言われた事がある。お互い相手に同じ事を思っていたのだ。なのに意地を張り合い、すっかりすれ違ってしまっていた。逆の立場に立って初めて気づくとは自分の馬鹿さ加減に笑いが漏れる。だったら、言葉が届きにくいには、の言葉で伝えよう。

「前に僕に言ってくれたよね。僕が好きだから、付いて行きたいって。あの時僕は少し余裕が無くて言えなかったけど、僕もの事が好きだよ。好きだから、一緒にいたいと思っている」

 捉え方によっては告白の様にも聞こえる言葉に、は黙り込んだ。そして長い沈黙の後、意を決した様に僕の瞳を見つめながら小さく言葉を紡ぐ。

「あのね、シロエ」
「うん」
「てとらが来た時に思ったのよ。いらないって言われたら、どうしようって」

 ついにこぼれてしまった彼女の涙を拭いながらそっと頭を撫でる。女性に泣かれたら本来の僕ならば慌てるだろうが、静かに涙を流すを前に、不思議と僕は冷静でいられた。まるで、最初からこうなる事が分かっていたみたいに。いや、それは言い過ぎか。僕はずっと思っていた。が素直な気持ちを吐露する相手が僕であればいいのに、と。

 あの時の言った"好き"と、僕の言った"好き"は違うものだろう。僕の言葉に含まれた意味を誤解したらしいにほっとする反面、全く意識されていない現実にズキリと胸が痛む。

「でも、嬉しいよ。初めて弱音吐いてくれたね」

 だから、涙が止まった後に耳まで赤く染める彼女をからかうくらいは許されるだろう。

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