That's what I'm here for.

 新しく購入した小さめの、だけど座り心地は抜群の椅子の上で両足を抱えながら、仕事をしている対面の顔を眺める。最近はシロエの執務室でお互い顔を突き合わせて書類と格闘している事が多い。幸いシロエの机は広い。少しくらい私が占領しても彼の業務に支障はないし、何よりシロエが確認すべき事柄が多い書類は多く、連携も取りやすいのだ。
 ひとつ気になるのは、多方から羨ましげな視線が飛んでくる事である。



32



 アカツキとミノリが時折水面下で火花を散らしているのは知っていた。その三角関係に突如私が割り込んだみたいな形になってしまっていて、二人から「お前もか? お前もなのか?」と伺う様な視線が飛んできて正直鬱陶しい。私がシロエにそういった感情を持っていない……と言い切れないのが少々癪だが、あくまでこの感情は友愛、そう友愛である。そう自分に言い聞かせている。何が楽しくて泥沼の中に自ら足を突っ込んで行こうとしてるのだ、自分。
 確かにシロエの言動はちょっと誤解しやすい所がある。前日のやり取りだって、私相手じゃなかったら危うくどこかにゴールインしてしまいそうな会話だった。しかしまあ、シロエは仲間を大切にする人間なので皆に優しい態度が彼の信者を増やしているのだろう。私自身彼の優しさに甘えて、そして少し揺らいでいるので笑えた話ではないが。

「何か不備でもあった?」
「え?」
「手。止まってるから」
「ああ、いや、なんでもないわ。ちょっと考え事」

 その考え事の張本人に声をかけられ、思わず語尾が上がる。書類に不備はない。不備があるのは、<記録の地平線>内の色恋事情である。

「シロエはさ」
「うん」
「好きな人いる?」

 ぶっとシロエが吹き出すと同時に、天井からガタンと小さな音が響いた。いつの間にか潜んでいたらしい侵入者に、想定外の話題に驚くシロエは気づいていない。あの様子では頭でもぶつけたのだろう。ごめんね、まどろっこしい事は苦手な性分でして。

「そ、それが考え事、なんだ?」
「まあね」
「なんでいきなり……」
「あら、女はいつでもこういう話は好きなものよ」
「ふーん」

 彼はこちらに訝しむ様な視線を向ける。色恋沙汰の噂を囁いただけでこの態度なんてシロエの中の私は、いったいどういう人間だと思われているのだろうか。怒りたくなる気持ちを抑え、冷えきった紅茶を喉の奥へと流し込む。

「それで、どうなのよ」
「ノーコメント」
「その言い草だと良い人がいるのね? 誰? 誰なのっ」
「そう受け取られるのかっ! 忙しすぎてそれどころじゃないさ」
「……つまらないわね」

 何となくではあるが予想していた返答に、私は正直な気持ちを漏らした。





 彼女の言動は突拍子も無い事が多い。恐らく、彼女自身の中では真っ当に筋道立てて発言しているのだろうが、その過程を誰にも漏らす事のないとの会話は驚かされる事が多々あった。今日だってそうだ。突然想い人から「好きな人いる?」なんて思春期の同性同士みたいな会話を振られたら、動揺するに決まっている。これがある程度段階を踏んだ男女の会話であったならば、もしかして自分の事を……なんて淡い期待もするが、相手はだ。悲しいかな、僕を男だと思っていない様な態度ばかり取るに、期待しろと言う方が無理である。

こそ、どうなんだよ」
「私? 私はねー」

 彼女の表情が一瞬翳ったのを、僕の冒険者の目は見逃さなかった。

「ここでは、そういう意味での大切な人は作らないわ」
「それは……どういう意味?」
「そのままよ。ねえシロエ、ここは異常だと思わない?」

 異常。確かに今の<エルダー・テイル>、いや、セルデシアは異常だ。冒険者という異物が混ざり込み、良くも悪くも大きく影響を与えている。ゲームの世界にいる僕達冒険者も、本来いない筈の冒険者に頼らざるを得ない大地人も、どちらも正常ではない。そういった意味では彼女の言葉も理解できるが、僕にはそれ以上の含まれた意味を汲み取る事はできなかった。

「ええ、多分シロエの考えは合ってると思うわ。半分は」
「じゃあ、残りの半分は?」
「簡単よ、小さい頃に教わらなかった? 『しらない人にはついていってはいけません』ってね」
「言われたけど、それが?」
「後はネット上では個人情報を簡単に公開してはいけない、とか」
「つまりは、あくまでここを<エルダー・テイル>として扱うんだね」
「そう、ネットゲームは節度を守ってプレイしましょう。この世界にとってはとても意地悪な言い方ね。だけど、この生活はきっと永遠に続く訳じゃないわ。いつか現実に。だったら……」
「帰る準備をすべきだと」
「ええ、最近はそれを忘れている人も多いみたい」

 大地人と結婚したり、子供を作ったり。冒険者の中にはここを現実の様に扱い、未来を思い描く冒険者も少なくはない。

「私は現実を捨てる事なんて出来ないわ。大切なものだって、残してきたもの。ここでの生活はとても楽しい。だけど、戻りたい」
「僕も、戻るべきだと思う」
「戻りたいと戻るべき。似ている様で全く違う言葉ね。私はあまり戻るべきだとは思ってはいないのよ。小難しい事はわからないし」

 カチャリと無遠慮に音を立てながらがティーポットから二つのカップに紅茶を注ぐ。
 帰るべき理由が理解できないから帰りたい気持ちにしがみつく彼女に、相変わらず不器用だと心の中で吐き捨てた。今までは<エルダー・テイル>で死を迎え記憶の欠片を失くす度に、大切なものが増える度に、二つの世界を天秤にかけて睫毛を震わせてきたのだろう。理由、理屈。彼女はそれらにやけにこだわる。今の彼女には「戻りたくない」と思う"理由"が増えすぎた。

「……ここにいる理由を欲しがったのは、あくまで期間限定なの?」

 先日のやり取りを思い出し、つい不機嫌が声に出てしまう。彼女が僕らといる理由を探してくれたのが、それ程自分には嬉しい事だったのかと自覚した。だからこそ、彼女の考えには落胆したし怒りこそ湧いてくる。

「期間限定でもいいじゃない」

 よくない。

「ごめんなさいね、でも、どちらも本心なの。帰りたい、ずっとここにいたい」
「だけど、僕達は帰らなくちゃいけない」
「そうね、現実にもこの世界にも、責任を取らなければ」

 その意見には賛成だ。例え巻き込まれたと被害者だと言っても僕達はこの世界にとっては異物で、元の世界には戻るべき場所もある。

「多分、防波堤なんだわ。それ程までにここでの日々は幸福なんだもの」

 だから揺さぶってくれるな。
 彼女の瞳に射抜かれ、牽制と言う言葉が脳裏に浮かんだ。

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