That's what I'm here for.

 休みの日に寝過ごした様な、少し気怠い目覚めだった。二度寝しよう、そう思い寝返りを打ち布団を抱え込む。こんなにゆっくり眠れたのは久しぶりだ。だって昨日までは夢の中で――。
 ある事実に思い出し、勢い良く体を起こした。ベッドの中で座っているにも関わらず、目眩で倒れそうになる。そんな私を支えたのは、見知らぬ神祇官の少女だった。

「大丈夫ですか?」
「え、うん」
「丸3日も眠っていたんです。無理しないでください」

 トウヤ、シロエさんを呼んで来て、と彼女が部屋の隅にいた少年に声をかける。シロエ――その名前を聞いた途端、夢の中の様なまどろみが一気に吹っ飛んだ。随分と呆けていたのだろう、この部屋が自分が借りている宿の一室ではない事にようやく気付く。頭の中がクリアになると同時に、夢か現か定かではないシロエとの邂逅が蘇って来た。
 ――すがりついて、泣きじゃくって……夢、よね? 夢に決まっている!
 あんな失態を犯したなんて、夢でなければシロエに合わす顔がない。しかしあれが夢ならば、自分がここにいる事に説明がつかないのだ。

「ミノリ、目が覚めたって……」

 ノックも無しにシロエが部屋の扉を開く。鋭い双眸と視線が交差し、たまらず白いシーツを頭から被った。

「えっ! どうしたの!? まだ体調が……」
「大丈夫! 大丈夫ですから!」

 駆け寄るシロエの足音が間近で聞こえる。体調も芳しくはないが、それ以上に恥ずかしくて泣きだしてしまいそうだった。

「また、怖い夢を見たの?」
「違います……」
「大丈夫だから、何かあったら僕達が――」

 シーツ越しに、シロエがそっと頭を撫でる。その手つきがあまりにも優し過ぎて、恥ずかしくて、堪らなくなる。崩壊した涙腺のままシーツを脱ぎ捨てて、シロエの胸ぐらを掴んだ。

「こっちは恥ずかしくて死にそうなのよ! あまりの失態に、悪夢も吹き飛んだわ!」
「それは……なんかごめん」
「シロエが謝る必要なんてないわよ! 私はシロエに恩しか感じてないんだから……!」

 そこまで言って、はっとした。今現在私は、恥の上塗りをしているのではないだろうか。

「……すみません、取り乱しました」

 彼の乱れた胸元を直し、そっと手を離す。

「大変ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」
「僕は、迷惑だなんて思ってないけど」
「この御恩は、いずれ必ずお返し致しますので……」

 シロエがはあ、とため息を吐く。ひとまず、班長が食事を用意しているから下に行こう。有無を言わさぬ言葉だった。



08



 食卓には豪華とは言いがたいが、思わず生唾を飲み込みたくなる料理が並べられていた。焼きたてのパン、瑞々しいサラダ、黄金色のオムレツにベーコン、具がとろけるまで煮込んだシチュー。猫神様への信仰心が溢れ出る。
 食後に神祇官の少女ミノリと武士の少年トウヤの紹介を受ける。彼らは双子で中学生らしいが、トウヤはともかくミノリは礼儀正しく、年以上の落ち着きを持っていて大人びて見えた。

「私は施術神官のです。私事で<記録の地平線>の皆様に御迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」
「そう固くなんねぇで、さっきみたいに普通に話せばいいだろっ。無礼講祭りだぜ!」
「え、あの……」
殿の声はここまで聞こえていた。"恥ずかしくて死にそうなのよ!"、と」

 先程の怒鳴り声が建物内に響いていた事を悟り、顔に熱が集まる。現況であるシロエを見やると、彼はくすくすと声を潜めて笑っていた。

「そんなに維持になってロールを貫かなくてもいいですにゃ」

 ロール、そうだ。私は施術神官の""を演じているのだ。""は信仰深い神官で、慈悲の心を持ち、縋る手を振り払わない。いつも穏やかに笑みを浮かべ、戦闘時すらその笑みは崩さない。ゲームだった頃のエルダー・テイルでは、そんな聖人の様な人物を目標にロールしていた。この世界が現実となっても、不要な諍いを避ける為に、""を続けようと思ったのだ。だから、<ロスト・メモリー>を脱退する時も、跡を濁さぬ様格方面の対処は十分に気を配ったつもりだった。ゲームでは、それで十分だったのだ。しかし現実では、ギルドマスターを始めとした生きた生身の人間の感情を考慮しきれず、失敗した。

「私は、善人じゃないわ。ただ、"善い人"を演じていただけ」

 甘ったるい香りのするハーブティーを流し込んで、粗雑な動作でカップを置く。

「頼まれ事だって、断って拗れるのが面倒だから二つ返事で受けてただけだし、メリットもあったわ。ここで生きるには、"善人である"をロール・プレイした方が周りにも、私にも、都合が良いのよ」
「そうかな?」

 僕は今のの方が好きだよ。事も無げに言うシロエに、デザート用の木製のフォークを取り落とした。





 鳩が豆鉄砲をくらった様な顔で彼女は固まる。ほんのり紅く染まる耳に、少し恥ずかしい事を言ったんだと自覚した。
 しかしながら、本心だ。僕は穏やかな笑みと丁寧な言葉づかいで武装した彼女よりも、子供みたいに表情がくるくると変化する、少し打算的なの方が好ましかった。耳障りの良い言葉で腹の探り合いをするよりも、直接的な感情をぶつけて貰う方が余程いい。

「僕個人としては、を<記録の地平線>に誘いたいと思ってる」
「は?」
「一人で行動するより、ギルドに入った方が安全だと思うし」
「確かに、治安が改善されたとは言え、ナイスおぱんつを一人で放り出すには心配だしな」
「バカ直継の言う事も一理ある」

 腕を組むアカツキが頷く。彼女の戦闘能力は<記録の地平線>幹部なら十分把握しているし、ロールしていたとは言え、あの人当たりの良さや気配りは根本に備わっていなければできないものだ。
 彼女は潤んだ瞳で辺りを見回す。直継も、アカツキも、班長も、トウヤやミノリさえも、微笑んで頷く。

「呆れる程、お人好しだわ」

 釣られて微笑んだ彼女から、一粒きらりと星が零れた。

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