平和島は、前世の記憶がある事以外は平凡な人間である。
確かに同学年のクラスメイトと比べて勉強はできるし、教師を敵に回しても良い事など何一つないと知っていたから、素行や周りの大人からの評判は上々だった。しかし、1度見たものは全て記憶できるとか、芸術的センスに溢れているとか、はたまたオリンピックに出場できるほど運動神経がいいとか、そういった特別な才能は残念ながら持ち合わせていなかった。
「ちゃん、本当にもう会えないの?」
卒業証書の入った安っぽい筒を握りしめながら、クラスメイトは大きな目いっぱいに涙を浮かべる。
にとって、2度目の小学校生活は順風満帆で、有意義なものだった。精神年齢が違うからか、後輩からは慕われ、クラスメイト達からは頼りにされた。子供だと思いつつも、は彼らが嫌いではなかった。
「手紙、書くから。皆が携帯買ったら、メールしようね」
は春から東京の中学に通う。“平和島”が生まれ育った九州を離れるのは少し淋しいが、内心、心が躍っていた。
東京は、の前世の故郷であった。
前世のが生きたのは20世紀から21世紀初頭であったが、今はまだ20世紀だ。この不思議なタイムラグに最初は恐怖こそ感じたが、それよりも好奇心が勝っていた。東京に行ったら、昔の自分を観察するのも面白そうだと思った。
「、帰るわよ」
「はーい。じゃあ皆、またね」
は幼い友人に手を振り、両親の待つ車に乗り込む。今日の夕食はどこへ食べに行こうか、何が食べたいか笑顔で尋ねる両親に、少しだけリッチなレストランの名を挙げた。今日くらい、豪華なご飯でもいいでしょう? そう言って、幼いは悪戯っ子のように笑う。母は、綺麗に結ったの髪型を崩さないようにそっと頭を撫でてほほ笑んだ。今日で最後、今日で最後だから。
そう、しばらくと両親はお別れなのだ。
お別れと言っても、悲しいものではない。父の転勤がたまたま海外で、母もそれについて行くだけの事。転勤の話が来た当初、両親もを海外に連れて行くつもりだった。しかし、色々な都合では日本に残る事となった。都合とは、転勤先の治安や教育事情など様々だったが、1番の理由は自身の反対だった。
両親は「日本に残る」と言う彼女の言い分を良しとしなかったが、ここでに救いの手が差し伸べられる。母の姉である叔母の一言だった。
――回想ここまで。
私は実に十数年ぶり(と言っても平和島になる前の話だが)に東京の地を踏んでいた。小学校の修学旅行は九州内だったし、平和島としては初めての東京。これはすこしお上りさんになっても仕方ないだろう。
「うちにくればいいじゃない」そう言ってくれた伯母さんとは5時に池袋西口公園で待ち合わせだ。空港まで迎えに行くと言ってくれたが、地下鉄の乗り方などを確認したかったので遠慮した。時計を確認すると約束の時間まで2時間弱ある。これなら、特に慌てずとも約束の時間までには待ち合わせの場所へたどりつけるだろう。
必要な荷物は先に、伯母さんの家に送ってある。私は大きめのショルダーバッグを抱えて、モノレールに飛び乗った。