気分が悪いまま、大徳寺先生の手を借りて部屋へ戻ると、制服が皺になるのも構わずベッドに転がった。ソリッドビジョンの炎が、目を閉じても瞼の裏に焼き付いている。中々寝付けずに布団を頭から被ると、視界を闇が支配した。
思いの外私は図太い様で、いつの間にか眠ってしまっていた。夢の内容は思い出せないけど、とても幸福な夢を見ていた気がする。ただ、その幸せにはもう手が届かない気がして、潤んだ目元を無言で拭った。きっと、あの世界の夢だったのだろう。
時計を見ると既に3時を過ぎていて、そう言えば昔から不貞寝は得意だったとひとり笑う。渇いた喉を潤す為に冷蔵庫から飲みかけのミネラルウォーターを取り出して口に含み、味わう暇なく吹き出した。
『……!』
そいつは、私の吐き出した水から顔を庇うように両手を上げるが、水は何事もなかったかの様にそれの足下のカーペットに着地する。水を被っていないかと不安げに、きょろきょろと頭を抱えながら服を気にするそいつに、思わず私は渾身の力で突っ込んでいた。
「いや、あんたに実体なんてないから水なんてかかんないから!」
『っ!?』
私の言葉に、そいつ――ワイトは器用に顎の関節をはずして下顎を胸の高さまで落として驚いて見せる。頭を抱える姿はまるでムンクの[叫び]の様だ。目の前であたふたと動揺してみせるモンスターに恐怖はなく、むしろ見慣れた骨格標本が自らの意思で動きまわってる事態がとても不思議に感じた。まあ、十代のハネクリボーの他にカードの精霊はいても可笑しくはない。問題は、何故、カードの精霊がここ――つまりは私の部屋だ――にいるのか、だ。
「……どうしてここにいるの?」
『……』
「……」
『……』
「黙ってちゃわかんないんだけど?」
だんまりを決め込むワイトに苛立っているという意思表示の為に腕を組むと、骨はびくっと体を震わせ、肋骨を1本落とす。カードの精霊の癖に人間である私に怯えているのだろうか。可笑しな話だ。畏怖すべきはこちら側だと言うのに。
「あ、あんた骨か。しゃべれないとか? じゃあ、消えるか通訳呼ぶとかすれば?」
『あまりそれを虐めてくれるな』
腕を組んだ体制のまま、私よりも随分と背の高いワイトを見上げる。目の前で怯えた様に頭を抱えている情けない怪物は、第三者の声にカタリと嬉しそうに顔を上げた。
「……いじめではなく、これは詰問よ」
『大差ないではないか』
「モンスターに人権云々は関係ないって法律で決まってるの。知らない?」
『それでこそ我が主だ』
第三者であるワイトキングが、カタカタと骨を鳴らして笑う。断っておくが私は、精霊と会話する様なメルヘンな人間ではないし、骨の主になった覚えもない。私の言葉にいちいち反応して、大きなリアクションをしたワイトとは違い、ワイトキングは優雅にマントを翻し軽口を交わしてみせる。そんな余裕を見せつける様なワイトキングの対応が何だか癪で、わざと嫌味に微笑んでベッドに座った。
「それで、何の用よ。カードの精霊サマが」
体重をかけるとレッド寮の安っぽいベッドは小さく軋む。私の皮肉に表情をぴくりともせず(そもそも骨なのだから表情どころか顔色すらないのだ)完璧なポーカーフェイスで、ワイトキングはカタと骨を鳴らした。するとそれを合図にデッキケースから2体のワイトとワイトキング、3体のワイトキング――更に予備のカードが入ったプラスチックケースからワイトが5体、ワイト夫人が1体がぞろぞろと出てきて私の前に膝をつく。新しい主に挨拶をせねばと思ってな、とさも当たり前のようにワイトキングが言うと、14体の骨格標本が一斉に頭を下げた。只でさえ広くない部屋は骨格標本でいっぱいと言うのに、その骨達が私に傅いている。妙な光景だ。
「新しい? 随分と遅いご挨拶じゃない」
『我々アンデットはこの外見故、嫌悪される事も少なくない。暫く様子を見させて貰ったのだ。……我々も精霊と言えど意思を持つ存在であるからな』
私はワイトキングの言い分に、思わず鼻で笑ってしまった。詰まる所ワイト達は、こんな骨格標本みたいなナリをしておきながらシャイでナイーブだとのたまったのだ。可笑しくて泣けてくる。いつからワイトキングはこんな愉快な人格設定になったのだ。
「まぁ、取り敢えず宜しくしておくわ。デッキはころころ変えると思うけど」
皮肉混じりに言葉を返すと、ワイトキングの隣に跪いていたワイトがショックを受けたみたいに顎を外した。白っぽく透けている骨がベッドの下に転がる。私は驚いて声を上げそうになったが、取り繕う様にワイトキングを見上げると彼はお見通しだったのかカタカタと骨を鳴らし笑った。
「部下は上司と違って随分と素直みたいね」
『ふむ、持ち主の性格が反映されているのは我だけの様だな』
「いけしゃあしゃあと……」
無言で睨み合う私達を取り囲んで、ワイトを始めとした下っ端達は心配そうに様子を窺う。勿論、私だって本気で怒っている訳でもないし、ワイトキングだってちょっとしたお遊びのつもりだろう。癪だけど、やはり私達は似ている。自分達の周りでオロオロとうろたえるワイト達が可笑しくて仕方ないのだ。
だから気付けなかった。階段を二段飛ばしで駆け上がる足音も、傍から見れば只の独り言にしか聞こえない笑い声も、一部の人間にしか聞く事の出来ない可愛らしい精霊の声も。
「ー!」
ノックもなく開け放たれたドアから十代と、彼の精霊であるハネクリボーが現れた。二人は骨格標本のひしめく狭い部屋をぽかんとした顔で見渡し、ぱあっと瞳を輝かせて扉の近くにいたワイト夫人に詰め寄った。
「すげぇ! お前らもしかしてカードの精霊か!?」
『もしかせずともな』
「俺、こんな大勢の精霊見たのは初めてだぜ!」
詰め寄られたワイト夫人は怯んだ様に一歩後退り、助けを求めて私とワイトキングに視線をやる。彼女の不安が伝染したのか、周りにいたワイト達までおろおろと私を見つめた。ワイト達の窪んだ瞳の奥に不安が見える。今まで悲鳴を上げられることはあっても喜色満面で詰め寄られた事はないのだろう。
「はい、落ち着いて。ワイト夫人が怯えてるから」
「も精霊が見えるんだな、知らなかったぜ」
「私も最近知ったけどね」
『今朝は主共々世話になったな、遊城十代』
「ワイトキング! 今日は途中でお預けになったけど、楽しいデュエルだったぜ!」
『決着がつかず残念だったがまたやろうではないか』
「もちろん」
「本人の了承を得ずに、勝手に話を進めないで貰える?」
勝手にデュエルの約束を取り付けようとする十代とワイトキングの二人の会話を、ため息交じりに遮る。どこまでもデュエルオタクな十代は勿論、ワイト達まで活躍の場が増えると乗り気なので正直困る。私は必要以上のデュエルはしたくないのだ。
『主のデュエル嫌いも、少しは遊城十代に感化されれば良いのだ』
「お前、デュエル嫌いなのか? デュエルアカデミアに通ってるのに?」
「別に嫌いと言うか、ソリッドビジョンが苦手なだけよ。……コンボとか組むのは結構好きだし、勝てたらそりゃあ嬉しいし。
……ああもう! 余計な事言わないで早く消えて! 帰って!」
私を見つめてにやにやと笑うワイトキングに向かって声を荒げながら腕を振り下ろすが、その手は空気をかき混ぜるだけですり抜ける。ワイトキングは更に馬鹿にする様にカタカタと骨を鳴らして余計な一言を残して宙へ溶けた。
『主はご立腹の様だ。しかし、いい事を聞いたな』
ワイトキングが消えたのを見届けてから、他のワイト達もカタカタと骨を鳴らし消える。骨格標本が薄れて消えていくというホラーを右手を振り上げたまま見送ると、狭い部屋の中には十代と私、そして彼の精霊のハネクリボーだけが残された。
ほしひとつ