厨房は戦場と言う言葉を聞いた事がある。その言葉通りに、朝食前の戦場では忙しく何かを炒める音や声が聞こえた。やはり食べ盛りの男子高生が利用する食堂ともなると、調理する側の仕込みは大変らしく、喧噪に紛れてトメさんの慌てた様な声も聞こえる。私が遠慮がちに声をかけると、直ぐに気づいたトメさんが包丁を片手に現れた。安っぽい蛍光灯の光を受けて刃物がぎらりと光る。


ちゃんじゃないかい! オシリスレッドに移動したって聞いてたから心配してたんだよ」
「おはようございます、トメさん。御心配をおかけしてしまったようで、すみません」
「それで、どうなんだい? レッド寮には慣れたかい?」
「1日で慣れたとは言い難いですが……まぁ、敷居が高いブルーよりかは、幾分か気が楽です」


 私、根っからの庶民なので。
 はは、と冗談交じりに笑うとトメさんは温かくなる様な笑顔を返してくれた。じゃあちょっと早いけど朝ごはんにするかい? そう言ってくれたトメさんのご好意に甘えて、トレイに載せられた朝食を受け取る。白いご飯に味噌汁、卵焼きに目刺と言った代表的な食卓が並ぶ朝食にごくりと喉を鳴らす。ブルーでは洋食にフレンチ、イタリアンばかりで和食が出る事は少ない。久々の白いご飯が眩しかった。


「いただきます」


 手を合わせ卵焼きを口に含むと、ほんのり甘いそれに何だか無性に実家の料理が食べたくなる。家庭の味に舌鼓を打っていると背後の建付けの悪いドアが勢いよく開いて、きぃと耳触りな音を立てた。


「トメさん、飯できてるー?」
「あら、十代ちゃん。今日は早いのねぇ」
「昨日の夜から腹鳴りっぱなし! 早く飯……って、誰だ?」


 聞き覚えのありすぎる声に、びくりと肩を震わせる。半年前、長時間に渡って聴き続けた声だ。確か声優は(向こうの)私とあまり変わらないくらいの青年で、声優は初挑戦だと言うのに中々の演技力だと弟と一緒に感心した覚えがある。
 トメさんが「新しく入った子よ」と言い、彼に朝食を乗せたトレイを手渡す。私は彼に背を向けたままだが、かちゃりと食器が触れ合う音が聞こえたから多分そうなんだろう。彼はそのまま、私の前にトレイを置き(おいおいまじですか!)向かいあう様に腰かけてにかっと太陽みたいな笑みで笑った。


「へー! 俺、遊城十代。よろし……」


 一瞬の沈黙。細められた彼の目が、零れんばかりに大きく見開かれる。右手に持っていた箸をトレイの上に落して、がんっとテーブルに両手をついて立ち上がった。


「女ァ!?」


 何となく予想が付いた反応に、私はお茶で口の中のお新香を流し込んで答える。男になったつもりはないんだけど、と。初対面にもかかわらず無愛想な私の返答に気にした様子もなく、彼はぽかんと口を開けたまま落とした箸を拾った。


「いや、そりゃそうだけど……何でレッドの制服着てレッドで朝飯食ってんだよ。女子はブルーだろ?」
「レッドとは違って、オベリスクブルーやラーイエローには、単位とは別に必ず必要な出席日数と言うものがあるのよ」
「よくわかんねーけど、それで?」
「まぁ直球に言うと、出席日数が足りなくて、ブルーじゃ進級できないかっただけよ」
「おいおい、胸張って言うことじゃないだろ……」


 腰を浮かせていた遊城十代は、私の返答に呆れた様に笑いながら座る。


「まぁ仲間が増えるのはいいことだよな! もしかして、昨日隣の空き部屋が騒がしかったのってお前か?」
「騒がしくしたつもりはないんだけど……。ていうか、隣かよ」
「隣だと何か不都合でもあるのか?」
「別に……はじめましてお隣さん」
「これからよろしくな、お隣さん」


 私の皮肉を軽く流して、彼は白米を掻き込む。更にはおかわりを要求する遊城十代の食欲に、見ているこちらが胸やけを起こしそうになったので、彼を視界に入れないようにぬるくなった味噌汁をすすった。






「アニキ酷いっスよ、置いてくなんて!」


 他愛のない会話を交わしつつ、食事を続けていた私たちの会話を遮る様に駈け込んで来たのは、遊城十代をアニキと慕う丸藤翔。彼は遊城十代の軽い謝罪を受け、彼の隣に座る。童顔でどうしても同じ歳に見えない丸藤翔は、私を見ると少し考える様な仕草をしておずおずと口を開いた。


「あの、間違ってた申し訳ないんですけど、もしかして……」
「翔、聞いて驚けよ。新しいレッド寮生だ!」
さんっスよね。昨日皆が噂してたっス。
 ボクは丸藤翔、よろしくね」
「なんだよー知ってたのか」
「知らないのはアニキくらいっスよ」
「よろしく。……ねぇ、噂って何?」


 丸藤翔の言葉を拾い上げると、彼は当たり前のように口を開いた。



「そりゃあ、さんがレッド寮に降格だなんて言ったら噂にもなるっスよ」
「なんでだ?」
「……アニキ本当に知らないんスか?さんは入学以来全く授業に出てないんスけど、定期的に行われる学力テストでは入試試験1位の三沢くんを抑えて、トップをキープしているっス」
「ってことは、学力1位ってことか! へぇ、お前すごいんだな!」
「だからそう言ってるじゃないっスか……」
「でも、何で授業に出ないんだ?」
「一身上の都合で」
「いっ……?」
「個人的な事情で、って事っスよ」


 最後の玉子焼きを口に放り込み、トレイを返却するために席を立つ。


「なぁ、待てよ! 俺とデュエルしようぜ!」


 私を呼び止めた遊城十代は残ったおかずを掻き込んで私に箸を突き付けて言った。嬉々とした表情の彼とは対照的に、私はいつも通りの無表情を張り付けて返す。


「嫌」
「なんでだよ!」
「……負けるから」


 ぽかんとした顔の二人と共に辺りを沈黙が支配した。


まぎれこんだ薄青