「はじめまして、薫様。南雲一色が長女、と申します」


 そう言って私は自分よりも五つも幼い子供に頭を下げた。彼は私を侮蔑する様な目で一瞥して自嘲気味に笑う。


「……南雲は、男鬼の僕には脆い生き物で十分だと言うのか」


 私は何も答えなかった。薫様は、数年前手違いで連れてこられたと聞いていたからだ。子を宿せない男鬼など、何の役にも立たない。本来ならば彼の妹である、女鬼を連れてくる筈だったのに、と彼は疎まれていた。
 里の皆からよく思われていないのは私も同じだった。私の義父と義母は二人の子宝に恵まれ、濃い鬼の血を残していたが生まれた子は二人とも男鬼だった。その後は子宝に恵まれず、十七年前捨てられていた――人間である――私を拾ったのだ。
 鬼と人。姿形は似ていても、私と彼らは全く異なった生き物だ。彼らよりも傷の治りが遅い私は、鬼よりも身体能力の劣る人は、何処へ行っても愚図で役立たずで疎まれる存在。そんな私の味方は優しい義父様と、義母様と、兄様たちだけだった。
 私は悔しかった。生物は生まれながらに平等ではない。足の速い者もいれば、力が強い者、頭のいい者。誰にだって得手不得手はある。人の子だから、そんな理由で差別する鬼が嫌いだったし、そんな理由で彼らに劣ると認めてしまっていた自分も大嫌いだった。だから、私は彼らとの差を埋めることにした。勉学に励み、女の癖にと馬鹿にされても剣術に打ち込んだ。純粋な力では鬼には人は敵わない。ならば、それを技術で補えばいいのだ。
 気が付けば、南雲の里で表立って私を馬鹿にする鬼はいなくなった。人の子である私にはやはり限界と言うものがあるが、「人間にしては」と、私を認めてくれる鬼まで出始めたのだ。
 努力の甲斐あって、私は長から純血の鬼である雪村家の薫様のお世話と言う仕事を頂いた。体のいい厄介払いなのかもしれないが、長直々に任を頂戴した事実が、私は誇らしかった。


「本日より、薫様の御世話をさせていただきます。何なりと、お申し付けください」
「これは人の子なれど使えん事もない。役に立つだろう」


 それだけ言って、長は立ち去る。薫様は明らかに不機嫌な表情でそれを見送った。その様子にぞわりと背筋が冷える。彼の目は十二の子供のする瞳ではない。まるで、この世の全てを憎んでいる様な瞳をしていた。


「人の身で、何が出来る」
「薫様がお望みになることならば」


 私は頭を上げて彼を見据える。彼は心底鬱陶しそうに吐き捨てた。


「目障りだ、消えろ」






「……と言うことがありました」
「はは、お前にそこまで言うとはな」
「笑いごとではありません。昨日も夕餉はお独りで召し上がりになりましたし、昼間は部屋に籠って書物と睨めっこ。ああ、不健康極まりない! こんな蛞蝓みたいな生活を続けていたら、全てが憎らしくなるのも当然です!」
「まあそう熱くなるな」
「しかし兄上、まだ十二である薫様の瞳を憎悪に染めたのは南雲です。あんな瞳――子供がすべきではありません」


 声を張り上げると同時に思い切り振りおろした木刀を、五つ年上の義兄はいとも簡単に受け止める。そのまま押し切られて木刀が体から逸れると、左手に思い切り打ちこまれて私の腕はみしりと嫌な音を立てた。


「っ……!」
「冷静になれ」


 兄上が先の稽古とは正反対に、静かに口を開く。


、お前が取り乱してどうする。薫様を案じるのならば、冷静に最良の道を選択するのだ」
「最良、とは? 私にはまだ分りません。もし、私が道を誤ってしまったら?」
「それは、お前が自分で考えろ。他の者から教わっても意味がない」
「しかし……」

 私よりも随分と背の高い兄上を見上げると、彼は先程までの鋭い雰囲気を嘘の様に和らげて微笑んだ。さらりと、兄上の腕が私の髪を撫でる。


「すまなかったね、お前は強いから手加減が難しいのだ。腕を冷やして使えるべき主の元へ戻りなさい。もうすぐ夕餉の時間だ」
「はい。ご指導、ありがとうございました」


 兄上に一礼し、道場にも礼をして井戸へと向かう。腕の痣はまるで闇夜みたいにどす黒く腫れていた。