08.Scomparsa

 それからは、上辺だけはいつも通りの毎日が続いた。
 クロスの愛人を頼りながら各国を転々とする日々は、日本からあまり出る事のなかった私には初めて見る物ばかりで興味深かったが、観光に現を抜かしている場合ではない。見た事もないものに惹かれる気持ちを抑えて、アレンの修行に励んだ。


「アレンも随分強くなったわよね」
「本当ですか!」
「何よ、急にテンション上げちゃって」
「だって、が褒めるのって初めてじゃないですか。そりゃあ、浮かれもしますよ」
「あれ、初めてだっけ?」
「そうですよ。二年近くも修行しておきながら、ようやくですけどね」
「私、褒めて伸ばすタイプじゃないから」


 どこか哀愁を漂わせながら呟くアレンに、紅茶を口に含みなが微笑む。
 そう、私がアレンの修行を始めてからもうすぐ二年が経つ。最初はひよっこだったアレンも、この二年で随分と強くなったと思う。あくまで多分、の領域だ。
 どちらかと言うと戦闘面よりも、クロスの作る借金のせいでバイトやギャンブルのイカサマのスキルの方が成長している気がしないでもない。


「いつの間にか、アレンも背が伸びたわね」
もあっという間に追い越しましたしね」
「……最初会った頃はこーんなにチビだったくせに」


 私が自分の腰元に手をやると、アレンが怒ったように「そんな小さい訳ないじゃないですか」と声を上げる。
 二年と言う月日は、長く人生を送っている私にとってはとても短く感じるが、子供を青年にしてしまう程の長さらしい。アレンも十五歳(推定)と、思春期真っ盛りの筈だが反抗期すら起こさずに、素直でちょっぴり腹黒い青年に成長していた。
 アレンの伸ばした左手を支えにして、両手で体を持ち上げ彼の脳天に踵落としを決める。イノセンスに触れた両手はじゅっ、っと嫌な音を立てて爛れてしまったが、私の攻撃によりアレンは蛙の潰れた様な声を上げて地面に転がった。


「はい、終了」
「痛い……」
「やっぱり、捨て身の攻撃が目立つね。いくら丈夫な体だとしても、自分が怪我してたら意味ないのよ?」
「捨て身って、も人のこと言えないじゃないですか」
「肉を切らせて骨を断つ、って言葉知ってる? 確実に仕留められるのなら、多少の怪我は仕方ないのよ。まぁ、傷を作らないのが一番なんだけどね。
 一番最悪なのは、自分も怪我を負ってアクマを破壊できないパターン。仲間の足手まといにもなるしね。傷を負ってまで相手を追う場合は、確実に仕留められる時だけにしなさい」
「わかりました」
「じゃあ、今日の実践終わり。先に拠点に戻っておいて。買い物を済ませてくるから」
「はい」


 ぼろぼろになったアレンを見送り、衣服の乱れを直す。焼け爛れた手を手袋で隠し、夕闇の中歩き出した。
 今日の夕飯は何にしよう。アクマと言えども、食事は食べれない事もない。おいしいごはんは精神まで健康にする気がする。たまの外食があれば最高だ。他人が作ってくれたご飯は何でもうまい。
 屋台で出来合いの物を買い占め(ほとんどアレンの分だ)、借り宿の扉を開く。ただいま、と中にいるであろう飲んだくれともやしっ子に声をかける事を忘れず。しかし、想定していた出迎えの言葉はなく、予想外すぎる室内の状況に思わず、左手に抱えていた荷物を落としてしまった。
 アレンが、部屋の中央で倒れていたのだ。一つのカナヅチと共に。慌てて駆け寄って揺り起すと、アレンは呻きながらも意識を取り戻す。


「アレン! いったい、何があったの!? クロスは?」
「し、師匠が……」
「クロスが?」
「本部嫌いだからお前達だけで行けって、カナヅチで僕を殴……」
「ア、アレンー!」


 しかし、クロスの暴虐な様を告げると、力尽きた様に再び意識を失った。