薄暗い闇の中、割れた窓から空を見上げた。降り注ぐ月明かりは優しく、この世の全てを受け入れてくれている様な気にもなる。足の割れた椅子に腰掛け、羨むように見上げた月は雲に隠された。
 ああ、何て静かな夜だ。薔薇を一輪、置いて行く少女の姿はもう見えない。恐らく、彼女はもうここには来ないだろう。ああ、何て静かな夜だ。家具に降り積もった埃さえも気にならない。
 耳が痛くなるような静けさに泣きたくなる。自分の頬に触れると、ひんやりと冷たかった。独りになってどれ位経つのだろうか。私はいつから独りなのだろうか。そんな事さえ思い出せない。一層の事、闇に溶け込んでしまえたらいいのに。そんな仄暗い私の思考を遮ったのは、静かな夜に相応しくない乱暴に開かれた扉の軋む音だった。


「アニキ! 不味いッスよぉ……」
「大丈夫だって! 1年の時も来ただろ?」
「あの時も危ない目にあったじゃないッスか!」


 赤い上着を着た少年と、彼の背に隠れる様に少し背の低い少年が入ってくる。彼らは2階にいる私に気付かない様子で、ぐるりと辺りを見回した。ギシ、と古びた床が彼らの体重で軋む。水色の髪をした少年はそんな音にすら肩を揺らし、悲鳴を上げていた。
 窓の外で、木が大きく揺れる。風に吹かれ、月にかかっていた雲が取り払われ、私と少年たちを月明かりが照らした。私に気付いた茶色い頭の少年と、視線が交わる。


「こんな夜中に、どうしたの?」
「ひィ!? でででででででで出たッス……!」
「よく見ろよ翔、人間だって。俺達、この廃寮で幽霊が出るって聞いて来たんだけど、何か知らないか?」
「幽霊が出るって言うのは聞いたことがないけど……」


 人懐っこい笑みを浮かべる少年は、やっぱりデマかよ、と面白くなさそうに呟いた。彼の後ろでもう一人の少年も安心したように息を吐いている。


「もしかしたら……」
「もしかして、見たのか…!?」


 食いついて来た少年に微笑みかけ、タン、と床を蹴る。重力など感じさせない動きでふわりと浮いた私の体は、階段を無視して彼の眼前まで近づき笑いかけた。


「私かも?」
「っ!?」
「ぎゃ―――――――――ッ!!!」
「あ、おい翔!」


 叫び声を上げ、翔と呼ばれた少年が出口へと駆け出す。乱暴に扉を開け、小さな体からは信じられないほどのスピードで森の中へと消えた。


「あぁ、また翔の奴……」
「あなた……」


 私の前には少年がひとり。逃げて行った少年を探すように入口の扉に目を向けている。


「逃げないの?」
「逃げる? どうしてだ?」
「だって、今までの人は私を見たら逃げたし。現にあなたのお友達も……」
「確かに驚いたけど、別に害はなさそうだしな。それに、俺にとっちゃ幽霊もカードの精霊も変わりねぇよ」


 な、相棒、と彼が空中に声をかけると、毛むくじゃらの羽の生えた生き物が現れた。半透明のそいつは、彼の言葉に賛同するかのように愛らしい声で鳴いた。


「驚いた。カードの精霊なんて、都市伝説だと思ってたわ」
「幽霊だってお伽噺みたいなもんだろ?」
「まあこれで、どちらも存在するって証明された訳ね。検体としてどこかの怪しげな研究所にでも持っていけば、高値で売れそう」 「お前、面白い事言うな。俺、遊城十代。あんたは?」
「……名前なんて忘れてしまったわ。誰も呼んでくれないもの」


 ふわりと浮いて、埃の積もった2階の手すりに腰掛ける。


「それってすっげぇ淋しくないか?」
「……淋しくなんかない」
「嘘吐くなよ。だってお前」


 泣いてんじゃん。
 彼―――十代の言葉に、弾かれた様に頬に手をやるがそこは濡れてなどいなかった。


「馬鹿言わないで。私は泣いてなんかない……淋しくなんかない」


 声を張り上げる私に、十代は先ほどの私の動作をなぞる様に身軽な動作で距離を詰め、私の顔を覗き込む。そして、月の光などが到底及ばない太陽の笑みで微笑んだ。。


「やっぱり、ひとりは淋しいよな。お前も来いよ」
「……来い、って」
「レッド寮は賑やかだぜ? 俺や万丈目だっているし、翔や剣山、明日香だって来るしな」
「……馬鹿な事言わないで。私はあなた達とは違うのよ?」
「何も変わりはしねぇよ」


 そう言って、彼が私の頬に添えた手は空を切った。



泣いても泣いても

ほっぺは濡れない




(20080812/ななつき)