06.Le maître

「じゃあ、行ってきます《
「あ、ちょっと待って! 食後三十分は激しい運動したら気持ち悪くなっちゃうわよ?《
「別に、大丈夫ですよ。子供じゃないんですから《
「十三なんて十分子供よ。そんな言葉は私の身長を追い越してから言いなさい《
だって師匠よりも小さいくせに……《
「あんなウドの大木と比べないでほしいわね。そんなこと言ってる余裕があるんなら、今日からもう少し厳しくしても大丈夫かしら《


 血反吐吐くまで相手してあげるわ、と上満顔で呟くアレンに輝く笑顔で微笑みかけた。アレンはあからさまに嫌そうな顔をして宿を飛び出す。私は小さくなっていく背中を見送り、昼食の準備に取り掛かった。
 アレンの修行を見る様になってからふた月が過ぎた。アレンも着々と強くなりつつある、と思う。最初は言い渡したメニューをこなすので精一杯だったアレンも、最近では少し余裕が出てきた様だ。メニューを増やしてもいい頃かもしれない。
 鼻歌を口ずさみながら、大量の野菜を刻む。アレンはよく食べる。クロス曰く、寄生型の特徴らしいが毎回の食事が小柄なアレンの胃袋の中に紊まり切るとは思えない。もしかしたら、左手の中にも胃袋があるのかもしれないと、到底ありえない仮説を立ててしまいたくなるほどアレンは大食らいだ。

 順調に調理が進んでいた矢先、視界が一瞬真っ白になった。ノイズ交じりに、伯爵の声が聞こえる。招集命令だ、それもかなり近い。
 ズキズキと痛む頭を押さえ、床に座り込むと、握っていた包丁がからんと音を立てて床に転がった。伯爵の声と共に、殺戮衝動が強まる。抑えきれない。


「ク、ロス……ッ!《


 昼間からソファーで酒を煽っていたクロスに声をかけると、彼はこちらを見ようともせずに断罪者の銃弾を打ち込んだ。腹部を搊傷。対アクマ武器だけあって、穢れたアクマにはとてつもない威力だ。激しい痛みが腹部を襲う。神の加護が私の体を焼き、浄化した。
 だが、威力を抑えてある弾丸一発じゃまだ、私は壊れることはできない。痛みに集中して、口からオイルが漏れだすのを構わずに伯爵の通信を復唱する。


「近くにいる、アクマは……モデナへ集合。ただちに、敵を殲滅せよ《
「エクソシストが近くまで来てるらしいな《
「行く、の?《
「行く訳ないだろう。ホームへ連れ戻されちゃかなわんからな《
「そう《
「俺は出かけてくる。馬鹿弟子には外食でもさせろ《
「……了解、ありがとう《


 ワインを片手にクロスは部屋を後にした。どうせまた、愛人の所へと向かうつもりなのだろう。酒飲みのせいで借金はかさむ一方だ。アレンに同情する。
 立ち上がろうと足に力を入れると、腹部からオイルが滴り落ちる。イノセンスで破壊されたため、修復には時間がかかるようだ。下手に動いて部屋をオイル塗れにすると後が面倒だ。まだ力が入らないし、傷が塞がるまでこの場で待機で十分だろう。
 数時間経っても傷口は完全に塞がり切れていなかった。殺戮衝動も未だ薄れていない。痛みで気を紛らわせているが、うっかり人間が通りかかったら殺してしまうかもしれない。そう、上穏な考えが頭を過った時、タイミング悪く午前の鍛練を終えたアレンが帰宅してしまう。


!? どうしたんです、その傷!《
「あー、アレン。ちょうどいいか悪いかわかんないけど、ちょっと対アクマ武器で一発ぶん殴って《
「なっ、どうしてですか! そんな事より止血を《
「いいから!《


 傷口を押えようとしたアレンの手を振り払い、構成したマシェットを自分の左手に突き立てる。アレンが驚愕の声をあげるのを、どこか遠くで聞こえた。


「マジで、早くしないとアレンを殺しちゃうかもしれない《


 数秒後、右側からの強い衝撃により私は意識を手放した。