01.赤い箱の中ですすり泣く

「やぁ、少年」


氷の張った川辺に座り込むやけに上等な着物を着た子供に声をかける。びくりと肩を揺らし振り返った彼は訝しげに左の目を細めた。随分と長い間外に出ていたのか少年の肩にはうっすら雪が積もっている。その雪を払おうと手を伸ばすと、彼は構えるように腰を落とした。その様子が、中々懐いてくれなかった家の近所の野良猫を彷彿させて無意識に私の口元は弧を描いていた。


「ここは君の様な身分の高い者が来ていい所じゃない。家に帰りなさい」
「……帰る場所などない」
「あらら、家出少年?黙って出て来たのなら両親が心配するわ」
「…っ黙れ!きさまに何が分かると言うのだ!」


良かれと思って口に出した話がどうやら彼にとっては地雷だったらしく、少年は語尾を荒げる。困った様に頭を掻くと自分の髪にも雪が降り積もっていた。寒い筈だ、このままでは風邪を引いてしまう。頑なに動こうとしない少年の手を引いた。


「はなせ!」
「はいはい、家に着いたら放すから。君が帰らないにしても、ずっと外にいる訳にもいかないでしょう。この辺りは只でさえ物騒なんだから」


少年はまだ何か言いたげだったが、彼に頭から肩掛けを被せて有無を言わせず自宅へと連れ込む。幸い、出掛けから放置していた暖房代わりの囲炉裏の火はついたままで、畳んだ私の服の上で白猫が丸まっていた。
雪に濡れてしまっている少年の髪を手拭いで拭くと、未だ不満そうな左目と視線が絡む。その瞳は憎悪とも言い難い悲しみに染まっていた。


「……なぜ、梵天に構う」
「別に、只の気まぐれと言うか趣味と言うか。私、見ての通り猫とかつい拾って来ちゃうのよね」


視線の先には丸まった白猫。梁の上には珍しい雄の三毛猫、土間には黒猫など、独り暮らしには少々広い我が家には総勢十数匹の猫達が居候している。


「梵天を猫などと一緒にするな!」
「あーはいはい、別に少年個人を猫と一緒にしてるわけじゃないのよ?でも私にとっては猫も人間も十把一絡みたいなものよ。Are you okey?」
「……あ…?」
「おわかり?って事よ。英語……あー、海外の言葉なの」
「海外…南蛮の事か」


そうそう、と少年に適当な返事を返し(あれ?この時代南蛮ってポルトガル?)熱いお茶の入った湯呑を渡すと、彼は湯呑を見つめて黙り込んだ。お茶請けに、と差し出した羊羹には目を向けずに少年は川を見つめていた時と同じ様な暗い瞳でぽつりと呟く。


「どうせおまえも梵天を化け物と思っているのだろう。醜いと」
「醜い?」


私は少年の言葉を復唱した。ただ、それだけなのに彼の肩がびくりと揺れる。少年の顔を見る限り整っている方だと、私は思う。今は涙に濡れているが意志の強そうな瞳、長い睫毛、すっと通った鼻筋に薄い唇。右目に巻かれた包帯だって、現代人の私からすれば包帯と隻眼も萌要素の一つだ。


「醜い?化け物?私には少年がその様には見えないが?」
「皆、口ではそう言うのだ。だが、女中も臣下も陰では右目がない梵天の事を化け物だと言っている」
「……少年は化け物なんかじゃないさ。私は、本当の化け物を知っているからね」
「馬鹿な…!」


鳶色の瞳が漸く私を見る。少しだけ湿った少年の頭を撫でると彼は鬱陶しそうに首を振り私の手を払いのけた。


「嘘を言うな」
「いやぁ……これがまた、嘘じゃないのよね。少年、私いくつに見える?」
「それがどうした。お前の歳など、梵天には関係ない…!」
「……あれ、そんな事言っちゃう?さんのとっておきを教えてあげようと思ったのに。もういいよ、聞いてくれなきゃ勝手に喋るから。
 私ねぇ、こんな年端もいかない小娘な外見してるけど少年の10倍くらいは歳食ってるのよ」


次の誕生日が来ればめでたく90の大台に乗る。しかし私の体はこの世界に来た72年前から変わろうとはしなかった。町から離れたこの家に越して来たのも、年を取らない私を訝しがった近隣の住民から村八分の様な仕打ちを受けたからだ。こちらを窺う様な視線を寄こす少年に冷えた茶の代わりを差し出すと、彼は躊躇いながらも無言でそれに口をつけた。


「遠い所からここ…奥州に来て、父さんに拾って貰ったんだけど、どうしてだか歳を取らなくなってね。私の体の性で父さんに沢山迷惑かけたよ。その父さんも50年くらい前に死んでね」
「……おまえは」
「ああ、ストップ。信じて貰えなくてもいい、ただ本当の化け物とは私の様な者の事を言うんだ。関わる者全てに災いを呼ぶ鬼。……大層な渾名を貰ったよ」


否定は出来ないんだけどね、と自嘲気味に笑うと少年は眉間に皺を寄せて私から視線を逸らす。人と会話するのは随分と久し振りで、気が付けば話さなくていい事まで饒舌に口にしてしまった。あちゃーと思いつつも、これだけ脅しておけば彼も二度と鬼の住処に来る事もないだろう。
ドアを少しだけ開いて外を窺うと日は陰り雪は止んでいた。私は元の世界から持って来ていたカシミヤの黒いマフラーを箪笥から取り出し、少年の首に巻く。大人しくされるが儘の少年の髪を撫で付け、早く帰りなさいと、白い世界へと送り出そうとした。


「梵天丸……梵天丸だ。お前は?」
「鬼に名が必要?」


冗談交じりで私が返すと、少年――梵天丸は酷く傷付いた様な顔をする。ああ、悪い癖だ。少し、苛め過ぎたか。


「馬鹿なことを言うな。おまえは…人だ」
「……私が人なら、あんたも人よ。私は。…ほら、暗くなる前に帰りなさい。私と居るのが誰かに見られたら大変だ」
「梵天も鬼だと?」
「いや、鬼が子供を食べようとしているってね」


小さく笑って梵天丸の背中を押す。ばいばい、と手を振ると彼も控え目な動作で右手を挙げた。